天下の槍
刀ではない。槍だ。
刀剣伝承は刀の物語を語るサイトだが、この1振りだけは例外を認めなければならない。なぜなら、大坂城の蔵でこの槍は刀たちと一緒にいたから。
日本号。穂の長さ79.2cm。全長3m21cm。平三角形の大身槍。樋に倶利伽羅龍の浮き彫りが施された、天下三名槍の筆頭。
無銘。誰が打ったかは確定していない。大和国・金房政次の作と推定されている。
もともとは皇室の御物だった。正親町天皇から足利義昭に下賜され、義昭から信長へ、信長から秀吉へ渡った。天下人が替わるたびに、この槍も動いた。
史実メモ
- 天下三名槍: 日本号・蜻蛉切・御手杵。この呼称は明治時代に3本セットで定着。江戸時代は「西の日本号、東の御手杵」の二槍
- 御手杵は1945年の東京大空襲で焼失。現存しない
- 金房政次は大和国の刀工。金房派は実用性重視の鍛冶集団で、宝蔵院流の十文字槍も金房の作
- 「日本号」の名の由来には秀吉命名説と黒田節由来説がある
秀吉の蔵
秀吉の大坂城。天下統一の蔵に、名刀が集まっていた時代。
童子切安綱。義元左文字。一期一振。骨喰藤四郎。そして、この日本号。
秀吉はこの槍を家臣・福島正則に下賜した。賤ヶ岳七本槍の一人。秀吉子飼いの猛将。
正則はこの槍を大切にしていた。だが——
呑み取り
文禄5年(1596年)。正月。伏見。
福島正則の屋敷に、黒田長政の家臣・母里太兵衛が年賀の挨拶に訪れた。
正則は酩酊していた。新年の宴席。母里太兵衛は主君・長政から「決して酒を飲むな」と厳命されていた。
だが正則は執拗に酒を勧めた。黒田家を侮辱する挑発を交えながら。
───
「この大杯を飲み干せば、望みのものを何でも褒美に取らせよう」
直径一尺——約30cmの朱塗りの大杯。
母里太兵衛は三杯飲み干した。
───
そして、座上に掛けられた日本号を所望した。
正則は面食らった。よりにもよって天下の名槍を。だが——
武士に二言はない。
正則は日本号を渡した。
日の本一の この槍を
呑み取るほどに 呑むならば
これぞまことの 黒田武士
この逸話が民謡「黒田節」になった。雅楽「越天楽」のメロディに歌詞を乗せた筑前今様。1928年にNHK福岡放送局が全国に紹介し、広まった。
日本号は、酒で手に入った。戦場ではなく、宴席で持ち主が変わった。
史実メモ
- 母里友信(太兵衛): 黒田孝高(官兵衛)の家臣。黒田二十四騎の一人
- 杯の大きさは「直径一尺の朱塗り大杯」説と「三升(約5.4リットル)の鉢」説があり、資料により異なる
- 「三杯」飲み干したとする記述が複数の資料に共通
- 黒田節の歌詞は一番のみが呑み取りの逸話。二番以降は武士の風雅を詠む別の歌詞
漂流と帰還
母里太兵衛が日本号を手に入れた後、この槍はまっすぐ黒田家に留まった——わけではなかった。
太兵衛は朝鮮出兵の際に窮地を救われた返礼として、日本号を後藤基次(又兵衛)に譲渡した。又兵衛は後に黒田家を出奔し、その際に縁戚の野村家に渡した。
明治になって母里家の子孫から流出。玄洋社の総帥・頭山満の手に渡り、さらに転売され、実業家・安川敬一郎が一万円で買い取った。
大正9年(1920年)。安川は日本号を旧藩主・黒田家に献上した。
呑み取りから324年。日本号は、黒田家に帰った。
史実メモ
- 安川敬一郎: 旧福岡藩士出身の実業家。安川電機の創業者
- 玄洋社: 福岡を拠点とした政治結社。頭山満はその総帥
- へし切長谷部が400年一直線に黒田家にいたのに対し、日本号は黒田の外を漂流した時期がある
福岡市博物館
1978年。黒田茂子がへし切長谷部と共に日本号を福岡市に寄贈した。
へし切長谷部は国宝だが、日本号は国宝にも重要文化財にも指定されていない。それでも「名物」として福岡市博物館の黒田記念室に通年常設展示されている。
穂79.2cm。全長3m21cm。青貝螺鈿の拵え。穂には倶利伽羅龍の浮き彫り。
天下三名槍の筆頭が、酒席のひと晩で持ち主を変え、324年漂流し、黒田家に帰り、いま福岡で待っている。
刀ではない。槍だ。でもこの槍は、大坂城の蔵で名刀たちと一緒にいた。だからこの物語は、ここにある。
日の本一の この槍を、呑み取るほどに。
史実メモ
- 福岡市博物館蔵。黒田記念室で通年常設展示
- 国宝・重要文化財の指定は受けていない。「名物」としての位置づけ
- 拵えは青貝螺鈿貼。鞘に母里家の枡形紋の螺鈿。金具は赤銅地に金色絵の桐と沢瀉紋
- 福岡市博物館 — 黒田家名宝展示・収蔵品データベース
- 享保名物帳 — 名物としての記載
- 刀剣ワールド「天下三名槍」「日本号」
- つるぎの屋「日本号」
- 名古屋刀剣博物館「日本号 制作レポート」
Web資料はいずれも2026年6月30日〜7月2日閲覧。諸説・伝承レベルの事柄は本文および史実メモで「〜と伝わる」「〜とされる」として区別しています。
バトンの手渡し
大坂城の蔵に、もう1振りだけ語るべき刀が残っている。
一期一振。
粟田口吉光の唯一の太刀。秀吉が最も愛した刀。大坂の陣で焼け、初代越前康継の手で蘇った。義元左文字と同じく——焼かれて、蘇った刀。
