刀剣伝承 / 第五話

一期一振
秀吉の愛刀

粟田口吉光の唯一の太刀。秀吉が最も愛し、大坂の陣で焼け、初代越前康継の手で蘇った。義元左文字と対になる「焼身と再生」の物語。

名物(御物)
刀工
粟田口吉光
時代
鎌倉中期
刃長
68.78cm
現在地
宮内庁(御物)

吉光の唯一の太刀

粟田口吉光。鎌倉時代中期。京都・粟田口の刀工。通称・藤四郎。

正宗、郷義弘と並ぶ天下三作の一人。だが吉光の得意は太刀ではなく短刀だった。現存する吉光の作品のほとんどが短刀。太刀は——この1振りだけ。

一期一振」。一生に一振りの傑作。細川幽斎がそう名付けたと伝わる。

短刀の名手が、生涯で唯一打った太刀。梨子地肌と呼ばれる小板目肌が極めてよく詰み、地沸が厚くつく。潤いのある黒みを帯びた地鉄。

この太刀が、天下人のもとへ渡る。

史実メモ
  • 粟田口吉光: 生没年不詳。鎌倉中期(13世紀後半頃)の活動と推定。銘は「吉光」の二字銘
  • 天下三作(名物三作): 正宗・吉光・郷義弘。この呼称は秀吉に始まり、享保名物帳で定着
  • 「唯一の太刀」は「現存する太刀がこの1振りだけ」という事実に基づく。他の太刀を一切打たなかったかは不明
  • 一期一振の命名者が細川幽斎であるとする説は伝承であり、一次史料の裏付けは確認されていない

秀吉が最も愛した

天正18年(1590年)9月18日。小田原征伐を終えた秀吉が毛利輝元の邸を訪れた際、毛利家から献上された。

秀吉はこの刀を特別に扱った

豊臣家御腰物帳——本阿弥光徳が作成し、片桐且元が監修した秀吉の刀剣台帳。一之箱から七之箱に分類された刀の中で、一期一振は最上位の一之箱に収められた。

目貫は後藤祐乗の牽牛織姫図。笄は九曜紋入り。秀吉は自分の身長に合わせて刃を短く詰めさせたという。

数百振りの名刀を持った秀吉が、最も手元に置きたがった1振り。

史実メモ
  • 毛利家から秀吉への献上は天正18年(1590年)9月18日とされる。小田原征伐は同年7月に終結
  • それ以前の伝来は不確定。朝倉家→毛利家という経路が推定されているが、具体的な史料は未確認
  • 秀吉の辞世「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」と一期一振を直接結びつける史料はない
  • 元の刃長は約85.8cm。秀吉の時代に磨上げされ約68.78cmに短縮された

大坂の陣——秀吉の刀が焼ける

大坂城の炎上
大坂落城 ── イメージ

元和元年(1615年)。大坂夏の陣。

大坂城が炎に包まれた。豊臣秀頼は自刃し、豊臣家は滅んだ。

秀吉が最も愛した刀は、秀吉の城と共に焼けた

───

焼身。吉光の刃文が消えた。梨子地肌が変質した。刀としての命が——

だが、徳川家康は瓦礫の中からこの刀を回収した。

家康はこの刀が「秀頼が明石掃部にくれていたもの」だと述べたという。誰の手にあったにせよ、家康はこの刀を見捨てなかった。

再刃を命じた。

史実メモ
  • 大坂夏の陣: 元和元年(1615年)5月7日に大坂城落城。一期一振はこの時焼身
  • 城内のどの建物で焼けたかの記録は確認されていない
  • 家康が「明石掃部にくれていた」と述べたとする記録あり(つるぎの屋による)

初代康継の再刃

再刃を担ったのは、初代越前康継

家康から「康」の字を賜り「康継」を名乗った幕府御抱えの刀工。義元左文字を再刃した江戸三代康継の先代——下坂家の初代。

落城の翌々月、7月16日に京都に召喚されたと記録がある。

初代康継は焼けた一期一振を蘇らせた。だが——

吉光のオリジナルの刃文は失われた。本阿弥光徳の刀絵図(文禄3〜4年写)に記録された焼き直し前の帽子は、現在のものと「明白に異なる」とされる。

義元左文字を三代康継が再刃し、一期一振を初代康継が再刃した。同じ下坂家が、2振りの名刀を蘇らせた。そして2振りとも、元の刃文を失った。

史実メモ
  • 初代越前康継(下坂康継): 徳川家康お抱えの刀工。義元左文字を再刃した江戸三代康継の祖
  • 光徳刀絵図(毛利本・大友本・埋忠本)で焼き直し前後の帽子を比較検証できる
  • 再刃後の刃文: 中直刃調の互の目・小乱交じり。吉光本来の作風ではない

尾張徳川家250年

家康は再刃された一期一振を名古屋城に預け置いた。

天海僧正が「秀吉ゆかりの刀は江戸へ送らぬほうがよい」と進言したとも伝わる。秀吉の怨念を怖れたのか、政治的な配慮か。

家康の九男・徳川義直が尾張藩初代藩主となり、一期一振は尾張徳川家の管理下に入った。

250年。

童子切が池田家の蔵で250年眠ったように、一期一振は尾張で250年眠った。義元左文字が将軍家の蔵で明暦の大火に遭った頃、一期一振は名古屋にいた。焼身を経験した刀が、2度目の火から遠い場所に置かれていた。

文久3年(1863年)。第15代尾張藩主・徳川茂徳が、孝明天皇に一期一振を献上した。幕末の激動の中で、刀は再び動いた。

史実メモ
  • 天海僧正の進言は伝承であり、一次史料の裏付けは未確認
  • 享保名物帳では将軍家所蔵とする記載と尾張家所蔵とする記載に分かれている
  • 文久3年(1863年)の孝明天皇への献上の政治的背景は、公武合体・尊王攘夷の情勢と関連すると推測されるが、献上理由を明記した史料は未確認

御物

いま、一期一振は御物として宮内庁侍従職が管理している。

御物は皇室の私有財産。文化財保護法に基づく国宝・重要文化財の指定対象外。一般公開の機会は極めて稀。

刃長68.78cm。元は約85.8cm。磨上げにより約17cm短縮された。銘は額銘に改変された「吉光」の二字。

粟田口吉光が打った唯一の太刀。秀吉が最も愛した刀。大坂の陣で焼け、初代康継の手で蘇り、尾張で250年眠り、幕末に天皇のもとへ渡り、いま御物として静かにある。

義元左文字は2度焼かれて2度蘇った。一期一振は1度焼かれて1度蘇った。2振りとも、下坂家の康継の手で。

義元左文字は京都で待っている。童子切は東京で待っている。へし切長谷部と日本号は福岡で待っている。

一期一振は——御物として、宮殿の奥で静かにある。待っているのかどうかも、わからない。

一生に一振り

史実メモ
  • 御物: 皇室の私有財産。国宝指定の対象外
  • 享保名物帳の「焼失之部」に所載(大坂の陣で焼身のため)
  • 御物番号: 28。蔵番記載:「仁一ノ二十六」
主要参考資料
  • 享保名物帳(焼失之部)— 一期一振の寸法・由来の記載
  • 豊臣家御腰物帳 — 本阿弥光徳作成・片桐且元監修。一之箱の記録
  • 本阿弥光徳刀絵図(毛利本・大友本・埋忠本)— 焼き直し前後の帽子比較
  • 刀剣ワールド「粟田口吉光」「一期一振」「御物の日本刀」
  • つるぎの屋「一期一振」
  • 名古屋刀剣博物館「天下三作」

Web資料はいずれも2026年6月30日〜7月2日閲覧。諸説・伝承レベルの事柄は本文および史実メモで「〜と伝わる」「〜とされる」として区別しています。

大坂城の蔵から

大坂城の蔵にいた刀たちの物語は、これで一巡した。

童子切安綱 → 秀吉の大坂城 → 義元左文字 → へし切長谷部 → 日本号 → 一期一振。

5振りと1槍。それぞれが全く違う道を歩いた。天下人を渡った刀。1つの家に留まった刀。酒で手に入った槍。焼かれて蘇った刀。

次の物語は——家康の蔵から始まる。

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