刀剣伝承 / 第三話

へし切長谷部
1つの家に留まった刀

信長が茶坊主を圧し切り、官兵衛に下賜し、黒田家400年の宝となった。天下人を渡り歩いた義元左文字とは対照的に、この刀は1つの家に留まり続けた。

名物(国宝)
刀工
長谷部国重
時代
南北朝時代
刃長
64.8cm
現在地
福岡市博物館

長谷部国重の皆焼

南北朝時代。京都・五条坊門猪熊に、刀工がいた。長谷部国重

元は大和国の千手院派に属していたが、鎌倉に移り、相州伝の技を学んだ。師は相州広光——正宗の門下。国重もまた、正宗十哲の一人に数えられる。

鎌倉幕府の崩壊後、京都に移った国重は、他の山城国の鍛冶とは一線を画す刀を打った。

最大の特徴は皆焼。刀身全体に焼きが入る。飛焼・棟焼が盛んで、刃と地鉄の境界が曖昧になるほどに。通常の刀が刃縁に沿って整然と焼かれるのに対して、国重の皆焼は刀身全体を焼きの表情で覆う。

重ねがごく薄い造り。実用性と華麗さが同居する、激しい時代の刀。

史実メモ
  • 長谷部国重: 長谷部派の実質的初代。建武期(1334-36年頃)を中心に活動。通称「長兵衛」
  • 千手院派(大和国)→ 鎌倉(相州伝を習得)→ 京都五条坊門猪熊に移住
  • 正宗十哲の一人とされるが、伝承に基づく評価であり史料的裏付けには議論がある
  • 在銘作品は少なく、現存するのは主に短刀。国宝はへし切長谷部のみ

へし切り

信長、棚ごと斬る
圧し切り ── イメージ

織田信長が、怒った。

茶坊主・観内が何かの粗相をした。何をしたのか、記録は残っていない。ただ信長が手討ちにしようとしたことだけが伝わっている。

観内は台所へ逃げた。膳棚の下に潜り込んだ。

───

狭い。刀を振り下ろす空間がない。

信長は刀を横に差し込んだ。棚の下に。そのまま押し付けるようにして——切った。

圧し切り。へし切り。

振り下ろすのではなく、押し当てて切る。それで棚ごと斬れた。この切れ味に、信長はこの刀に名を与えた。

へし切長谷部

史実メモ
  • 出典は『黒田御家御重宝故実』『御蔵御櫃現御品入組帳』(黒田家の伝承文書)
  • 観内の「粗相」「無礼」の具体的な内容は一次史料に記載がなく不明
  • 「棚ごと茶坊主を切った」という俗説が広く流布しているが、これでは「圧し切り」(押し当てて切る)の意味を成さないため、否定される説
  • いつ・どこで起きたかも確定していない

黒田官兵衛への下賜

天正3年(1575年)7月。

黒田孝高——後の官兵衛が、豊臣秀吉の取次ぎで織田信長に初めて謁見した。中国地方攻略の策を献じた。

信長はこの献策を高く評価した。褒美として、へし切長谷部を黒田孝高に下賜した。

義元左文字は4人の天下人の手を渡った。へし切長谷部は、ここで渡り歩くのをやめた。

信長の手から黒田家の手へ。以後、この刀は二度と持ち主を変えない

長谷部國重 本阿(花押)
黒田筑前守

金象嵌銘。差裏に本阿弥光徳が国重と極め、差表に黒田長政の所持銘。黒田筑前守——初代福岡藩主・黒田長政の名が、この刀に刻まれた。

史実メモ
  • 下賜の経緯には複数の説がある(信長→官兵衛直接説、秀吉経由説など)。福岡市博物館の解説は「孝高が信長に献策した際に拝領」
  • 元は大太刀を磨上げたもので、原銘は失われている。本阿弥光徳が長谷部国重と鑑定
  • 享保名物帳に記載あり。長谷部派の作品としては唯一の掲載

黒田家400年

400年。

黒田孝高から嫡男・黒田長政へ。長政は初代福岡藩主となり、へし切長谷部は福岡黒田家の家宝となった。

義元左文字が天下人の蔵を渡り歩いている間、へし切長谷部はずっと黒田家の蔵にいた。大坂の陣で大坂城が燃えた時も。明暦の大火で江戸が燃えた時も。この刀は福岡にいた。

火に遭わなかった。

義元左文字は2度焼かれ、左文字の刃文を失った。一期一振も焼かれ、吉光の刃文を失った。

へし切長谷部の皆焼は——国重が打ったままの姿で、400年を過ごした

同じ黒田家の蔵には、もう1振りの名品がいた。日本号。母里太兵衛が福島正則から呑み取った天下の槍。

2振りは同じ蔵で、同じ400年を過ごした。

史実メモ
  • 黒田家は福岡藩主として幕末まで存続。52万石
  • へし切長谷部は火災・戦災に遭った記録がなく、再刃されていない。国重のオリジナルの皆焼が残存
  • 同じ黒田家に日本号(母里太兵衛の呑み取り、1596年)もあった

福岡市博物館

1978年。旧侯爵・黒田長義の夫人、黒田茂子が、黒田家伝来の文化財をまとめて福岡市に寄贈した。

へし切長谷部と日本号。黒田家400年の宝刀と宝槍が、同じ日に福岡市のものになった。

1990年、福岡市博物館の開館に伴い移管。

国宝。刃長64.8cm。反り0.9cm。鎬造、庵棟。身幅広く重ね薄く、大切先。表裏に棒樋。

いま、この刀は福岡市博物館にいる。毎年1月に約1か月間だけ公開される。

天下人を渡った義元左文字は京都にいる。鬼を斬った童子切は東京にいる。

へし切長谷部は——信長が官兵衛に渡した日から、ずっと黒田家にいた。400年間、1つの家に留まり続けた。そしていま、その家が守った福岡の街で、静かに待っている。

1つの家に留まるということ。

史実メモ
  • 1978年9月19日、黒田茂子氏より福岡市に寄贈(「黒田資料」として一括)
  • 国宝指定: 1953年3月31日。重要美術品認定: 1933年、旧国宝指定: 1936年
  • 正式名称: 刀〈金象嵌銘長谷部国重本阿花押(名物へし切長谷部)/黒田筑前守〉
主要参考資料
  • 国指定文化財等データベース(福岡市博物館蔵・国宝)
  • 福岡市博物館 — 収蔵品紹介「国宝 刀 名物へし切長谷部」
  • 『黒田御家御重宝故実』— へし切りの逸話の出典
  • 享保名物帳 — 長谷部派唯一の掲載
  • 刀剣ワールド「長谷部国重」「へし切長谷部」
  • e国宝 — 短刀 銘 長谷部国重(京都国立博物館蔵)

Web資料はいずれも2026年6月30日〜7月2日閲覧。諸説・伝承レベルの事柄は本文および史実メモで「〜と伝わる」「〜とされる」として区別しています。

バトンの手渡し

黒田家の蔵で、へし切長谷部の隣にいたのは——

日本号

天下三名槍。福島正則の屋敷で母里太兵衛が大杯を飲み干し、呑み取った槍。黒田節に歌われ、同じ黒田家で400年を過ごした。

刀ではなく、槍の物語。

次話: 日本号 — 呑み取りの槍